【芸能】〈バディだけスゴくて16歳で熟女の色気〉イヤだったグラビア撮影、減り続ける仕事…「需要ないよ」と言われた橋本マナミ(38)の“下積み15年”
「国民的美少女コンテスト」で演技部門賞を受賞し、期待を背負ってデビューしたが…同期の上戸彩はスター街道を歩み始める一方、自らは「後輩のバーターだから」「需要ないよ」と言われ続けた下積み生活を送ることに。約15年に及んだツラく苦しい日々を振り返る――。(全2回の1回目/続きを読む)
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――山形から上京されて堀越高校の芸能コースに通われました。どんな学生でしたか?
橋本 とにかく地味で、大人しかったですね。堀越に通うと当時人気番組だった「8時だJ」に出ている人たちがいる、なんて山形時代は想像もしていなかったですし。東京ってスゴいな!と、遠くから見てました。
――当時、どんな方々が通っていましたか?
橋本 同級生は、生田斗真くんや尾上松也くん。一つ上に松本潤さん、水川あさみさんや、平山あやさん。一個下には山下智久さんもいて、スターばかりでした。
ただ、周りの方はスターなんですけど、私は全然お仕事がなかったです。みんなは早退して、これから収録だ、撮影だって忙しくしているのに、私は毎日ちゃんと学校に行って、皆勤賞で。修学旅行も1週間くらいありましたが、皆さんは3日くらいで帰っていく中で、私は1週間全部参加できちゃって(笑)。役者で忙しい人のために作られた“芸能コース”で皆勤賞って何やっているんだろうって。
――芸能界に入ってどんなお仕事からスタートされましたか?
橋本 CMのお仕事とか雑誌の表紙など、当時、私が所属していたオスカープロモーションがたくさんお仕事を用意してくださったんです。でも、全然うまくできなくて失敗ばっかりで。不器用なので、一言の台詞でも何回もNGを出してしまったり、雑誌の表紙もうまく笑えなくて、注意されたり。全然仕事も続かないし、だんだん声がかかることが少なくなっていきました。
でもバディだけはスゴくて16歳で“熟女の色気”
そんな中で、当時は優香さんをはじめ、グラビアが全盛期だったんです。私は喋れないし、演技もできないし、歌えないけど、とにかくバディだけは凄かったので、グラビアでやってみようということになって。16歳の頃だったかな、急遽写真集を出させてもらうことになりました。場所はオーストラリアでした。すでに大人びた見た目だったので、16歳なのに“熟女の色気”を撮り下ろしたような全然爽やかじゃない写真集ができてしまいました。
――16歳で“熟女の色気”ってスゴいですね。
橋本 それまで髪が長かったんですけど会社の方針で元気ハツラツっぽく見えるショートカットにしました。でも私は天然パーマなので、むしろおばちゃんみたいになって、逆に老けてしまって(笑)。なにをやってもうまくいかない感じでした。
――そもそもグラビアのお話がきたとき、どう思いましたか?
橋本 すごく嫌だったんですよね…。元々女優になりたくて、この世界に飛び込んだわけですから。26歳くらいまでずっとやりたくなかったです。今思うと、写真集やDVDのために、グアムとか海外にもたくさん連れて行ってもらって幸せなことだと思うんですけど。
やっぱり、太陽の下でワーイ!ってするのが苦手だったんですよね。うまく笑えないんです。マネージャーさんにはもっといい表情しなさいって言われるし、でもやりたくないし、なんか合わないなって。空回りしていた感じでした。
――特に辛かった撮影はありますか?
橋本 私がグラビアの撮影が嫌だったから、どう隠そうとか、表情に出ていたんでしょうね。スタッフさんに悪気はないと思いますが、「あなたのこと、誰も見てないから」って言われて。今思うと「そんなに気にしなくても大丈夫だよ」って私をリラックスさせる意味だったのでしょうね。でも当時の私はマイナスに受けとってしまって。DVDを出すのも、事務所の方に「この後輩のバーター(抱き合わせ)だよ」ってさんざん言われてきたので、私ってダメなのかなって。
どんどん売れていく周囲を見て、「なんで私は…って」
――そう言われて、どんな反応をするんですか?
橋本 「ありがとうございます…」っていうしかなかったですね。それしか仕事がなかったので。周りでは、当時グラビアで仲良くしてきた子たちが、週刊プレイボーイ、少年誌の表紙を飾ったり、どんどん雑誌にも出ていく中で、私は表紙を飾れる実力もなかったし、出ても1、2ページ出る感じで。
――そして「国民的美少女コンテスト」で同期だった方々もどんどん売れていきます。
橋本 上戸彩ちゃんも、「金八先生」に出演してスター街道まっしぐらで、他の子たちもエイベックスから歌手デビューとかファッション誌の専属モデルに抜擢されて。同じ時期に受賞した子たちがどんどん活躍していく姿を見て、なんで私は…って。
当時の私にはそんな華やかな仕事は全然なくて現場に行ったら、ビキニがポンって机に置いてある。そういう仕事に前向きになれませんでした。男性スタッフがたくさんいる中で、何でこれをやらなきゃいけないんだろう、でも私はここから始めなきゃいけないんだろうなって、複雑な気持ちでしたね。写真集のイベントをやったらやったで、5、6人くらいしかお客さんも来なかったです。
――上戸さんを初めてみたときの印象は覚えていますか?
橋本 当時小学6年生くらいだったのかな。みんなの中で一番小柄で、ほんと少女というか、みんなの妹のような可愛いらしい感じでした。「国民的美少女コンテスト」は中学生がたくさん集まっていて、やっぱり目立ちたい子が多いんですよね。どう自分をアピールするかって楽屋で話をしている人が多い中で、彩ちゃんは前に前に出てくる感じじゃなかったけど、可愛くてキラキラしていました。
私も同じタイミングで「国民的美少女コンテスト」で選んで頂いて、スタートラインも一緒だったはずなのに、なんで私は毎回オーディション落ちちゃうんだろう。せっかく「国民的美少女コンテスト」っていう、いいラインからスタートしたのに、なんで仕事が続かないのかなって。だから、どうにかして追いつきたい。嫉妬とかは全然なくて、自分に何が必要なんだろうって思う方が強かったですね。
着付けを練習したら「そこに需要はない」と言われて…
――何か工夫をされたり、ステップアップのため努力されたことはありますか?
橋本 私は元々お芝居がしたくてこの世界に入って来たんです。自分でもお芝居のワークショップに積極的に通ったり、フリートークがうまくなるような話し方教室に行ったり、不安な気持ちを埋めるかのように動きました。
事務所にも「どうやって仕事が増えるようにしたらいいですか?」って聞いたんです。「無名な人は、何か武器がないと難しい」と言われたので、19歳の頃、海老蔵さん主演の大河ドラマ「武蔵」に出させて頂いた時に、着物が似合うって言われたことを思い出して。日本舞踊を習ったり、自分で着付けができるように練習して、マネージャーさんに「これで売り出しませんか?」って提案したら、そこには需要はないと言われました。
他にもゴルフを身に着けようと思って、ビルの屋上にある、1時間1000円くらいの打ちっぱなしに通って練習したんですけど、スコアが100切らないと難しいって言われたり。今は、結果的にゴルフの番組も持てたので良かったんですけど、当時はやることなすこと、全てうまくいかなかったです。
――お仕事が思うように進まない中で、収入面での不安はありませんでしたか?
橋本 「国民的美少女コンテスト」で、オスカープロモーションに所属して、お給料も家賃も出してくれたんです。だから生活はどうにかできていましたが、交通費とかですぐ飛んじゃうので、バイトをしていました。賄のあるランチのバイトやテレオペ。倉庫でひたすら切手を貼る仕事とか、パーティーでワインを渡すバイトもやっていましたね。でも、ちょこちょこグラビアも出てはいたので、たまにバレちゃうんですけど(笑)。
「根拠のない自信があって。25歳以降で花開く」と思っていました
――10年間の下積みの途中で、辞めたいと思ったことはありますか?
橋本 本当に辞めようとは思ってないですけど、なんでうまくいかないんだろうっていう葛藤は常にありましたね。ただ、「大器晩成型だよ」って、仰って下さった方たちが何人かいたんです。私も「自分は25歳以降で花開くんだ…!」って根拠のない自信があって。25歳の頃は、たぶん大人びた外見と実年齢がマッチしてくる時期だと思っていたので、私はイケる…!って、どこかで思っていましたね。
――その後、26歳で事務所を移籍されました。
橋本 オスカーでもいっぱいチャンスを頂きましたが、全然活かせなかったので、一回ゼロにしようって思ったんです。次の事務所も決まってないまま、オスカーを辞めさせて頂きました。その後、いくつか事務所のオーディションを受けたんですが、26歳で実績も名前も知られてないから全部落ちちゃって。そうしているうちに、拾ってもらったのが今の事務所です。
――次の事務所が決まる前に辞めることに対して、不安はなかったですか?
橋本 全然なかったですね。もう希望しかなかったです!次の事務所が決まるまで10カ月くらい掛かって、次の事務所が決まったときにオスカーにも改めて挨拶しました。名前もそのまま使わせて頂いて、移籍のタイミングで「愛実」から「マナミ」、名前をカタカナにしたんです。そしたら、すごくお仕事の調子が良くなりました。占いで調べて、すごく運気が上がる名前だったんですよ。
元々占いとか信じてなかったんですけど、何もない状態からのスタートだったので色々やってみたんです。名前も変えたし、方位学を調べて引っ越しもしたし。移籍してはじめはお仕事がなかったんですけど、数カ月経つとコンスタントに入ってきて。そこからどんどんお仕事が増えていきました。気づいたら、どんどん露出の高い撮影にもチャレンジしていて…。(後編に続く)
撮影=石川啓次/文藝春秋
「国民の愛人」でも「平成の団地妻」でも「若き熟女」でもなく…橋本マナミ(38)がなりたかった“本当の姿” へ続く
(松永 怜)
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