【芸能】49歳になった深津絵里が“10代のヒロイン”を演じても、違和感がない「2つの理由」《朝ドラ『カムカムエヴリバディ』出演》――2022年BEST5
2022年(1月~12月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。女性芸能人部門の第2位は、こちら!(初公開日 2022年1月11日)。
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3世代の女性たちを描くNHKの連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』では、昨年の12月22日放送回の終わりがけ、2人目のヒロインである雉真るいが登場した。演じるのは、きょう1月11日に49歳の誕生日を迎えた深津絵里である。
深津が登場したのはちょうどクリスマスシーズンとあって、どうしても33年前のあのCMを思い出さずにいられなかった。それは、彼女が1988年に出演したJR東海のCM「ホームタウンエクスプレス X’mas編」だ。のちに「クリスマス・エクスプレス」の名称で、1992年まで毎年女優を変えながら放送されたシリーズCMの第1弾である。
芸能界入りのきっかけは「原宿」
当時、彼女は15歳。CMでは、ショートカットに真っ赤な口紅をつけた少女が、駅のホームで1人、彼氏を待ち続ける様子を演じた。セリフはなく、涙を流したりふてくされたりと、表情だけで心情を表したその演技は、いま見ても鮮烈だ。
深津はこの年、映画『1999年の夏休み』で俳優デビューしていた。芸能界入りのきっかけは、中学時代に原宿音楽祭というコンテストで優勝したことだ。大分で生まれ育った彼女は、東京の若者の街である原宿に憧れていた。コンテストに応募したのも、最終審査まで残れば原宿に行けるからで、芸能人になりたかったわけではないという。
それが優勝するや、仕事がどんどん決まっていった。その売り出し方もちょっと変わっていたので、彼女としてみれば戸惑いもあっただろう。何しろ、デビュー当初には芸名が複数あった。
1988年3月に公開された『1999年の夏休み』の出演時の芸名は「水原里絵」だった。それがこの年の10月には、「高原里絵」と本名の「深津絵里」と2つの名前でそれぞれ別の曲を歌ったデビューシングルを同時発売し、翌年公開の映画『満月のくちづけ』では役名と同じ高原名義で主演を務める。雑誌では、深津と高原が別人という設定で対談が掲載されたこともあった。いかにも80年代らしいギミックに満ちた売り出し方だが、さすがにファンや業界関係者にも混乱を招いたようで、やがて本名に統一されている。
それでもデビュー作『1999年の夏休み』で、彼女は演技の面白さを知り、この先も続けていきたいと思ったという。萩尾望都の名作マンガ『トーマの心臓』を金子修介監督が映画化した同作は、ギムナジウムの少年たちに若手女優が扮し、いまなお一部で伝説的に語られている。
「先がわからないことに面白さを感じる」
のちに深津は当時を振り返って、《(引用者注:コンテストで優勝して)その後にすぐ映画に出てくださいと言われた。映画の世界って全然わからなかったけれど、先がわからない面白さを感じていたように思います。少年の役を演ってほしいと言われて当惑もしたけれど、自分は求められていると思うと嬉しかった》と語っている(※1)。
「先がわからないことに面白さを感じる」ところは現在にいたるまで変わらない。『カムカムエヴリバディ』への出演を決めたのも、戦前から現代まで3世代にわたる物語を紡ぐため、朝ドラ史上初めてヒロインが3人になると知ったからだ。彼女によれば、そのいきさつは次のようなものだったという。
《先が見えているものより、どうなるかわからないことにすごく惹かれるタイプなんですね(笑)。『じゃあ、やってみよう』とお引き受けしました。プロデューサーの方からお手紙をいただいて、物語に私という存在が必要だとまっすぐに言ってくださって、ありがたいことだなと思いました》(※2)
つくり手から求められていると感じたことが出演の動機になった点も、デビュー作と同じだ。彼女にとって初出演となる朝ドラという枠自体も魅力であったらしい。『カムカムエヴリバディ』の放送直前にはこんな話もしている。
《朝ドラでは作る側と観る側に、ある種の共犯関係みたいなものが成立している。そこが舞台のようだなと思います。たとえば舞台では、私が『15歳の少女』と言えば、観客はそう思って観てくださる。歌舞伎も年齢や性別に関係なく、役を演じますよね。それは舞台ならではですし、大きな嘘を大胆につくことができる。嘘とわかっていて、お客さんはそれを楽しむ。朝ドラにもそういう魅力がありますよね。それは朝ドラという『型』があって、そしてその型がとても素敵で、心に響くものだから、105回(引用者注:朝ドラ第1作『娘と私』以来の作品総数)も続いているのだと思います》(※3)
『カムカムエヴリバディ』の公式ドラマ・ガイド(NHK出版)によれば、同作の2代目ヒロインのるいは1944年9月生まれ。深津の番組登場時の時代設定は1962年で、目下、彼女は17歳から18歳にかけてのるいを演じていることになるが、実年齢が40代後半とは思えないほど、まるで違和感がない。それは朝ドラという「型」の存在ばかりでなく、彼女自身のこれまでの舞台経験によるところも大きいように思う。
初舞台を踏んだのは10代の終わりだが、本格的に演劇に開眼したのは20代になって、劇作家・演出家の野田秀樹が主宰するNODA・MAPの公演に、1997年の『キル』以来、あいついで出演したときだった。ちょうど演じるということがわからないと思っていた時期だっただけに、野田との出会いは大きく、《映像では表し得ない舞台ならではの魅力を教えていただけたことで、演じることに対するイマジネーションが確実に広がりました》という(※4)。
野田作品では舞台を縦横無尽に駆け回ることも多い。ここから深津は表情だけでなく全身を使って演技することを学んでいった。それは『カムカムエヴリバディ』でも活かされている。たとえば、るいが郷里の岡山から大阪に出てきた場面では、ミュージカルのように街行く人たちと一緒に踊ったり、新しい服を買ってはしゃいだりと、希望にあふれる様子を全身で表現していた。このほか、言葉にならない感情を何気ない動きで示すことも少なくない。劇中の深津が少女に扮して違和感がないのは、舞台経験から培われたであろう、そうした演技の賜物といえる。
「自分を女優だと思わないようにしている」
深津はこれまでの仕事を顧みて、そのときどきで出会いに恵まれてきたということも折に触れて語っている。NODA・MAPへの出演も、そもそもは別の劇団の公演を観に行った際、たまたま野田と初めて会って挨拶したところ、後日、ワークショップに誘われたのがきっかけだった。
三谷幸喜の映画や舞台にも何作か出演しているが、それも映画『西遊記』(2006年)に三谷が俳優としてゲスト出演した際、撮影現場で三蔵法師役の深津に話しかけてみたところ、感じがよかったので、当時準備中だった監督作品『ザ・マジックアワー』(2008年)のヒロインに抜擢したという。
このほかにも、映画『博士の愛した数式』(2006年)の出演依頼を受けたのが、奇しくも原作小説を買ったその日だったり、映画『女の子ものがたり』(2009年)のオファーがあったのも、原作マンガを友達に薦められて読んだ直後だったりと、作品との運命的な出会いも何度かあった。
しかし、そんな出会いはそうしょっちゅうあるものではないだろう。深津はもともと《私の仕事は、一人でできるものではないし、人との関わりから生まれるものなんですね。そのだれか一人が違えば、生まれるものも全然違うものになるかもしれないし》と語るほど(※5)、人との関係を大事にしてきた。それが近年、仕事を絞っていることにもつながっているのではないか。『カムカムエヴリバディ』もじつに13年ぶりの連続ドラマ出演だという。
いまから6年前のインタビューでは、「深津さんが大事にされていることはどんなことですか」と訊かれ、《なんだろう…自分を女優だと思わずに、人間だと思うようにしている、とかでしょうか。女優だからこうあるべき、みたいなことがないんですよね》と答えている(※6)。
女優である以前に一人の人間として生きる。その姿勢は、おそらく『カムカムエヴリバディ』で今後、るいが年を重ねていく姿にも反映されるのではないか。実生活のなかで深津が培ってきたものを堪能するという意味でも、これからしばらくテレビに釘づけになる朝が続きそうだ。
※1 「深津絵里 星の王子さまの末裔」(新井敏記『SWITCH STORIES―彼らがいた場所―』新潮文庫、2011年)
※2 『LEE DAYS』Vol.1(2021年4月)
※3 『LEE DAYS』Vol.2(2021年10月)
※4 『an・an』2000年7月28日号
※5 『広告批評』2002年12月号
※6 『an・an』2016年3月2日号
(近藤 正高)
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