【芸能】遠野なぎこ(43) 虐待で絶縁した母親の自死を告白「3人目の旦那がガンで亡くなった次の日…」

【芸能】遠野なぎこ(43) 虐待で絶縁した母親の自死を告白「3人目の旦那がガンで亡くなった次の日…」

【芸能】遠野なぎこ(43) 虐待で絶縁した母親の自死を告白「3人目の旦那がガンで亡くなった次の日…」

「このことは初めてお話しするんですけど、昨年5月に母が自死したんです」

 そう打ち明けるのは、俳優の遠野なぎこさん(43)。6歳で子役として芸能界デビューし、NHK連続テレビ小説すずらん』ではヒロインを務めるなど華々しい活躍をしてきた彼女。

 しかしその裏では、幼少期から母親による虐待や育児放棄に苦しんできた。2013年には、壮絶な母子関係を赤裸々に綴った著書『一度も愛してくれなかった母へ、一度も愛せなかった男たちへ』(ブックマン社)を上梓し、大きな話題に。

 今回、そんな遠野さんに「家族の呪縛」というテーマで取材を申し込んだ。すると彼女は、母親の自死という衝撃的な事実を告白した。(全3回目の1回目/2回目に続く

◆◆◆

昨年5月に母親が自死したことを告白

遠野なぎこさん(以下、遠野) 今回は「家族の呪縛」というテーマで取材のお話をいただいて、このことは初めてお話しするんですけど、昨年5月に母が自死したんです。

 母とは、私が20代後半の頃から十数年間、絶縁状態でした。だから弟から事務所を通して連絡があったとき、「もしかして」と用件がなんとなく分かってしまって。

 とにかくずっと、母親にはなれずに「女」のまま生きている人でした。最期も、男の後を追ったんです。3人目の旦那がガンで亡くなった、次の日に。

――生まれ育った家庭で虐待や育児放棄があった、と以前に告白されていましたが……。

遠野 母は18歳のときに妊娠し、19歳で私を産みました。女優志望だったと言いますから、母にとって私は、彼女の人生や夢を壊した“邪魔者”だったのかもしれません。結局、一度も愛情を与えてくれることはありませんでした。

 母と父は何かにつけ、まだ幼い私を殴ったり精神的に追い詰めるようなことを繰り返していました。髪の毛を掴まれて壁に叩きつけられたり、体を引きずり回されたり。

 殴られた後には、決まっていつも、青いバケツが私に向かって投げられるんです。鼻血が止まらなくなって、毎回ティッシュを1箱使うので「もったいない」と言われて。だからバケツに鼻血や涙を溜めて、止まったらそれを流すんです。

――遠野さんは4人きょうだいだそうですね。弟さんや妹さんも、同じように虐待に遭っていたんですか。

遠野 いいえ、それが全く。私と弟、上の妹は父親が同じですが、虐待されていたのは私だけでした。

 母の「女優になる」という夢を託されたのも、私ではなく弟と妹だけで、私は母が2人を連れて児童劇団の習い事に通うのに付き添うだけだったんです。

母親に外見を否定され続け、15歳で摂食障害に

――では、遠野さんはなぜ子役に?

遠野 劇団のスタッフさんが「お姉ちゃんも、子役やってみない?」と声を掛けてくれたことがきっかけでした。

 母はいつも私の外見を「醜い」と否定し続けていたので、スタッフさんに対して「は? この子が、ですか」と聞き返していて、「どうしてこんなに醜い子を?」と思っている様子ではありました。それなのに、「そうですか、じゃあこの子もついでに」と承諾してしまって。それが子役としてのキャリアのスタートになったんですけど。

――お母様とはずっと、どういった関係性だったのですか。

遠野 母は私に対して、娘というより「女」として対抗意識を燃やしているような部分もあったと思います。だからなのか、私が弱れば弱るほど喜ぶ、みたいな感じでした。例えば、私が自分を否定したり、自虐的なことを言うと喜ぶんですよ。演技がうまくいかなかったとか、自分の体型のことを言ったりすると。

 だから私は、いつまでも自信を持てないままここまで来てしまいました。でもそんな母であっても、誰よりも、一番に私を認めてほしかったんです。だって仕事もきょうだいの世話も全部、母のためにやっていたようなものでしたから。

――遠野さんは、摂食障害と闘っていることも公表されていますよね。お母様から容姿をことごとく否定されてきたことが影響しているのでしょうか?

遠野 15歳の頃、体型が変化しやすくなって「子役の仕事が来なくなるのでは」と悩んでいた私に、母親は「吐けばいいのよ。吐いちゃえば、太らないんだよ。やってごらんなさい」と言いました。そこから、摂食障害に苦しむようになったんです。

――ちなみにお母様も普段、食べたものを吐いたり?

遠野 はい、母も過食嘔吐を伴う摂食障害でした。だから、スリムな体型をずっと維持していましたよ。摂食障害って、完治はしない病気だと言われているんです。彼女は自分もその病気の苦しみを知っていながら、子供の私にそれを教えたんです。

母親の死後1週間くらいは、ただ泣き喚いていた

――お母様が亡くなった直後は、どのような心境でいらっしゃいましたか。

遠野 1週間くらいはすごく精神が不安定になってしまって。あまり記憶がないんです。仕事もできる状態ではありませんでしたし、ただ泣き喚いていました。

 でもそれは悲しい、という感情からではなくて。どちらかというと、悔し涙でしたね。あとは「ようやく解放されるんだ」という気持ちで。

――そのあとは、どんな心境の変化がありましたか。

遠野 悪夢を見なくなりましたし、摂食障害の症状も出なくなって。薬を飲まなくても平気になったし、アルコールに頼らなくても良いようになったんです。

 ただ、やはりどうしても意識しているからなのか、しばらくは「あ、いるなぁ」という感じで母が近くにいるような気がするというか、気配を感じたりはしたんですけど。

 主治医の先生にも「呪いが解けたんですねぇ」と言われるくらい、心身の状態は変化しましたね。

治まっていた悪夢や摂食障害の症状が戻ってしまった理由

――お母様が亡くなってから半年以上が経ちますが、今も体調や状態はお変わりなく?

遠野 いえ。それが、たまたま弟と直接連絡を取ってしまって。弟のことは大切に思っているし、愛しているんです。ただ、家族と連絡を取るとどうしても母のことや、昔のことを思い出して激しい揺り戻しがあるので、連絡を絶たなければいけない状況にあったんです。

 母が死んでもそれはすぐに変わらないらしく、治まっていた悪夢や摂食障害の症状が戻ってしまって。寝るときはお酒に頼ることもあります。

――ちなみに、葬儀には参列されましたか?

遠野 いいえ。自分が壊れてしまうのがわかっていたので、参列しませんでした。母の自死によって自分の中で区切りが付いたというか、もうなかったことにしようと私の心の中で決めて。友達には「後悔するから絶対に行ったほうがいい」と言われましたけど、やっぱり難しかったです。

――ごきょうだいからは、特に何も言われませんでしたか。

遠野 はい。向こうも私と母の関係性を知っているので、特に誘いもありませんでしたね。

――複雑なご心境でかなり苦しまれたとは思いますが。

遠野 最初は心の整理が追いつかなくて、泣いて過ごしました。でも自分の中で「これはどういう感情なんだろう」という疑問も浮かんで、しっかり自分と向き合って考えてみたんですが、「寂しい」「悲しい」といった気持ちは一切なかったんです。自分でもそれにびっくりして。

「ああ、こういうものなんだ、母が亡くなるって」と。悪口を言うつもりは一切ありませんけど、最後の最後で「あ、やっぱり子供のことは愛してくれてなかったんだ」と現実を突きつけられたというか。3番目の旦那がガンで亡くなった次の日に、後を追うなんて……。

20代の終わりに母親と絶縁、電話で交わした最後の会話

――お母様の3人目の夫は確か、4人きょうだいの誰の父親でもないのですよね。

遠野 そうです。私と弟、その下の妹の3人は、母にとって1人目の旦那の子で。一番下の妹は、2番目の旦那の子ですから。

――お母様は、最後まで恋愛に生きたということでしょうか。

遠野 本当に、そうですね。でも母の死をきっかけに、これまでずっと母に愛情を求めてしまっていた部分にキッパリ諦めがつきました。もう涙も出ません。

「もうここから、私は強く生きていこう」と思えています。

――お母様とは、もうずっと関係を絶たれていたそうですね。

遠野 距離を置き始めたのは16歳で1人暮らしを始めた頃だったかもしれません。でも、20代のうちはなんだかんだ母とは会っていました。まだすごく、母親の愛情を求めてしまっていたんです。最後に電話で話したのは20代の終わり頃、もう十数年前ですね。私が一度目の結婚をした頃に関係を切ったと思います。

――その最後の電話では、何を話されたのでしょう。

遠野 「今までどうして私にこんなことをしたんだ」とか「なぜ私を摂食障害にしたんだ」とか、酔っ払った勢いで責めてしまったりしましたね。子供の頃から「お前は醜い」と言われ続けて育ったので、今でも私は自分の姿を鏡でまともに見ることはできないくらいで。メイクするにも、コンパクトに付いているような小さな鏡でしか顔を見られないんです。

――最後に電話をしたとき、お母様はどんな様子でしたか。

遠野 本当かどうかはわかりませんが、その時は「過呼吸になった」と言ってました。そのあと、母の3人目の旦那が電話口に出てきて「いい加減にしろ、二度とかけてくるな」「●●(母の名前)を苦しめるな」と。やっぱり傷付きましたよ、なんであなたに言われなきゃいけないのって。

 でも、受け入れるしかないし、母と娘の関係に他人が入って来たらもうどうしようもないですね。

母との絶縁後、家の壁から「死ね」と幻聴が聞こえるように…

――絶縁されてから、遠野さんはどういったご心境でしたか。

遠野 普通の精神状態ではありませんでしたね。家の中にいても、壁の中から「死ね、死ね、死ね」と幻聴が聞こえてくるんです。怖くなって、通っていた心療内科の先生に「今から行きます」と電話して。その繰り返しです。薬もいっぱい飲んでいて。異性関係も、性的逸脱のような状態になってしまいました。

――お母様から解放されるために絶縁したのに、それによって精神的に不安定な状態になってしまったと。

遠野 もうボロボロで、めちゃくちゃになりたかったんだと思います。自傷行為も酷かったですし。その時期、今だから言えるのですが、ロケの前日に自殺未遂をしてしまったりもして。家で首を吊ったんですけど、滑って落ちちゃったみたいで、顔まわりが真っ青になっていて……。一応仕事には行ったんですけど、そのロケがまさかの健康診断の企画で。

 メイクなんとかアザを隠して、うまく編集してもらったので無事にオンエアされました。でも、ロケのことをちゃんと覚えていないんですよね。スタッフさんが後日教えてくれましたが、そのロケ中に私は「自殺」という言葉を8回も使ったらしくて。

――そこまでボロボロの状況で、どうして仕事を続けられたんでしょう。

遠野 とにかく仕事をしていないとダメだったんだと思います。「仕事がなくなったらどうしよう」「生活ができなくなったらどうしよう」という不安感って本当に恐ろしくて。多少無理をしてでも、仕事があればそういう不安に悩まされることはないから。

撮影=三宅史郎/文藝春秋

「ドラマ撮影の前日、睡眠薬を大量に飲んだ」母親のW不倫、虐待、16歳での自殺未遂…10代の遠野なぎこ(43)を襲った“絶望” へ続く

(吉川 ばんび)

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俳優の遠野なぎこさん(43) ©三宅史郎/文藝春秋

(出典 news.nicovideo.jp)

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