【芸能】骨切り整形から4年を経た有村藍里「顔の半分くらいは今でも感覚が鈍い。これはもう治らない」
バラエティでの自虐は決して嫌ではなかった
――有村さんは4年前、2018年の秋に輪郭矯正の骨切り手術(ルフォー+BSSO)を行ないました。きっかけはなんだったのでしょう?
当時出演したバラエティ番組で、自分の口元を“残念”と指摘されることが多かったんです。
それで、「何かできないかな」と悩んでいたときに、知人から「そんなに悩んでいるんだったら、こういう手術があるんだよ」と教えてもらって、美容整形をしようと決めました。
――テレビで容姿についていじられて、傷ついたということでしょうか?
いえ。自分で自分の容姿を自虐することは多くありましたし、みんなが笑ってくれるなら、それでいいかなって。嫌でやっていたわけではなかったですね。
当時は自分の売りがわからなかったし、技量もトーク力も特技もない中で、どうにか番組に呼んでいただけたことへの“期待に応えたい”と思っていて。妹(有村架純)のこととか、自分の容姿のことを言えばおもしろいのかなと。“言わされている”わけでもなく。自分なりに楽しくやっていましたね。
――では、なぜ整形手術を受けようと思ったのでしょう?
整形手術を受けようと思ったのは、自分の顔を好きになることができる“最後の望み”なら、それにかけたいなって。
自分の容姿を自虐して生きていくよりも、純粋に“かわいくなりたい”という気持ちの方が強かったんです。このまま老いていくのなら、変わるチャンスの糸口を掴みたかった。
――整形をすると決めて、最初に話したのは誰でしたか?
友達だったかと。どんな反応だったかは、正直あまり覚えていないんですけど、驚いたり引き留めたりする人はいませんでしたね。正直、どういう手術かピンときていなかっただけかもしれません。
――家族にも事前に話しましたか?
母には、手術する前ギリギリのタイミングで「この日にやるから」「もう決めたから」って言いました。妹には手術が終わった後、年末年始に家族で会ったときに伝えたかな……。
――手術すると決めてからは、迷いもなく?
怖さよりも“変われるかもしれない”という期待の方が強かったので、すごく楽しみでしたね。でも、手術前に急に怖くなったのは覚えています。手術着に着替えて、手術台に乗ったときに急に涙が止まらなくなって……。
――怖いですよね。
「やっぱり、やめます!」と言えば、やめられたんでしょうけど「もうやるしかない!」って割り切ったのを覚えています。そんなことを頭の中で考えているうちに、意識がなくなって、次に起きた時は手術が終わった後のベッドの上でした。
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