【テレビ】豊川悦司“トヨエツ”呼びイヤだった…受け入れられたのはあの人がきっかけ
2/6(月) 21:08 スポニチアネックス
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豊川悦司
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俳優の豊川悦司(60)が5日放送のTBS系「日曜日の初耳学」(日曜後10・00)にゲスト出演。「トヨエツ」の愛称について思いを語った。
ともに主演を務め、同局系で放送された1995年ドラマ「愛していると言ってくれ」や1997年の「青い鳥」などで見せた繊細な演技や唯一無二の色気と存在感であっという間に人気俳優となり“トヨエツブーム”をつくった豊川。90年代に日本中を席けんしたこの愛称について「なんか、いつの間にか出てきましたよね、そのトヨエツというワードも」と穏やかな表情で振り返ったうえで「誰が言い出したんでしょうね?」と笑った。
トヨエツ。そう呼ばれることに豊川自身は正直なところどう思っていたのか。「木村拓哉くんもそうですけど、凄くはやったんですよね、あの時代。そういうふうに短くして呼ぶっていうのが。でも、なんか、ちょっと(当時の豊川自身は)偉そうだったのか、昔は“どうせトヨエツで4文字使うんだったら豊川悦司って書いてほしいな”とか。それが源五郎丸(げんごろうまる)さんみたいに7文字も8文字もあるんだったら短くするのは分かるけど“同じ数じゃん!”みたいなね」と、大阪出身で野球好きな豊川らしく1981年の阪神ドラフト1位・源五郎丸洋(げんごろうまる・ひろし)投手の名前を引き合いに出して笑いを誘った。
「なんか、やっぱり若いころって、なにかしら尖(とが)りたい…じゃないけど、やっぱり尖ってた時期ってのがあったと思うんですよね。あのころはそういうふうにしないと、この俳優の世界じゃ生きていけないのかもしれない、みたいな。なんか強迫観念みたいなものがひょっとしたらあったのかもしれません。余裕がなかったんでしょうね、若いころの自分に」
だが、どこか尖っていた豊川が「トヨエツ」という愛称を受け入れることができたのは、1996年公開の主演映画「八つ墓村」の撮影がきっかけだったという。「市川崑監督。もうお亡くなりになりましたけど、初めて監督に現場で“トヨエツくん”と呼ばれたのが、市川監督が初めてだったと思います。それまでなんか、みんな(トヨエツと)呼んじゃいけないんじゃないかな、みたいな雰囲気があったんですけど、市川崑監督はもう撮影初日から“じゃあ、トヨエツくん、あそこはあんな感じでやってな”“トヨエツくん!今のはいいよ!”みたいな。そんな感じだったんで」と笑顔で懐かしむ豊川。「そこからずいぶん慣れましたね」と振り返った。
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