【芸能】泉ピン子語ったえなりかずきの“共演拒否”騒動への思い「悪口を言われても気にしない」【2022年ベストスクープ】
ロシアによるウクライナ侵攻、安倍晋三元首相の銃撃事件と国内外で大事件が相次いで起こった2022年。かつてない激動の年となったが、芸能界や皇室でも衝撃的な出来事が連発。本誌が目撃してきた2022年のスクープの中でも、特に反響が大きかったものを改めて紹介したい。
主演を務める朗読劇『すぐ死ぬんだから』を行うなど、2022年も精力的に活動した泉ピン子。自ら「敵というかアンチが多い」と語るピン子は、えなりかずきとの不仲説を報じられたことも。本誌のインタビューで、ン子本人にその心情を聞いてみるとーー。(以下、2022年8月9日号掲載記事)※年齢は掲載当時のママ
『おしん』『渡る世間は鬼ばかり』など数々の国民的ドラマに出演してきた女優、泉ピン子(74)。“元気印”の彼女も古希を超え、さらに昨年、「ママ」と慕った橋田壽賀子さんを看取ったことで、自らの人生の閉じ方について考えるように。現在は8月4日から主演を務める朗読劇『すぐ死ぬんだから』の準備に励むかたわら、自身の終活も進めている。
「うちの父親が’81年ごろに病いで伏せったとき、私は『おんな太閤記』(NHK)に出ていて、収録後は付き添いで洋服を着たまま隣で寝てました。そのまま亡くなって、父は龍造というから、棺桶も特注で竜の彫り物の装飾付きにしたんだけど、火葬場に行くときには布をかけちゃうじゃない(笑)。このときも脚本を担当していた橋田先生に、その話をしたら、『そうね、棺桶も安いものでいいわよね。いずれ私もそうするわ』当時から言ってましたよね」
1947年(昭和22年)9月11日、東京・銀座の生まれ。本名、武本小夜。両親とも浪曲師だったが、2歳で実母と死別。その後、継母に育てられるが、「早く家を出たい」との思いもあって、18歳で歌謡漫談家としてデビュー。
転機は’75年、『テレビ三面記事ウィークエンダー』(日本テレビ系)への出演で、人気は全国区に。同時に女優業も始めると、’83年からの『おしん』の母親役で大ブレーク。さらに’90年にスタートした『渡る世間は鬼ばかり』では、12ページもの長台詞で知られる橋田脚本を見事に演じ切り、演技派としての地位を確立した。
「泉ピン子の芸名は、大好きだった父が付けてくれた。ピンからキリまでのピンで、それまでこの芸名で売れた人がいなかったようで、「ジンクスを破れ」との親心が込められていたようね。
41歳で、4歳年下の医師の武本憲重さんと電撃結婚したときは、「逆玉婚」として話題に。すでに売れっ子女優だったピン子に対して、夫は「初任給18万円」と、新妻となった彼女自身が明かしたからだ。
しかし、結婚から5年目に発覚した夫の「隠し子」騒動では、「許します。私に子供ができればよかったんですが」との号泣会見で、これまでのタフな女のイメージを覆し、日本中を驚かせた。
「あの会見も、全部、橋田先生の演出。だって、『あなたが夫を捨てれば、その後の女優人生でも、“夫を奪われた女”のイメージがつきまとう』そう言われてしゃべっているうちに、女優だから気持ちも入って自然に号泣になったんだけど、フタを開ければ、わざとらしいと、大バッシングされたわよ(笑)。
その後、50歳で禁酒禁煙をしたのは、犬を飼い始めて、当時は窓が開かないリビングだったから、犬が肺炎やがんになっちゃかわいそうと思って。たばこと一緒にお酒もやめました。だから、あのときの禁酒禁煙はまだ終活の準備じゃなかったの。
ただ自分は飲まないけど、今もうちのワインセラーには、来客用に1本10万円ほどのワインが40本もある。すべては飲み尽くせないだろうから、これも終活で売るしかないと思うけど、ねえ、ワインってどうやって売るの?」
■断捨離しつつも大好きな宝石は捨てられない。でも終活だって、迷い迷いでいいじゃない!
「還暦過ぎて、東京から熱海に引っ越してきたのが63歳前後。もうこのころには、自分がしっかり仕事をできるのは70までと思っていたから、すごく焦ってたわよ。終活は、やっぱり、橋田先生を看取ったことが大きかった。
実は、その直後に親友も亡くしていて。先生のことで落ち込んでたときに元気づけてくれたのが彼女で、ご近所だったから、『ピン子ちゃんの介護は、私がするから』なんて言ってくれてた。その私より年若い相手が、まさか先生の納骨からわずか2カ月後に突然亡くなるなんて、誰が思いますか? それで私、今まさに終活の最中で、クローゼットの段ボールから片づけてるんだけど、やたら部屋が散らかっちゃってさ(笑)。
手紙が出てきたら、懐かしくて読んだり。写真は、これどこだっけかなと考え始めたり。箱ごとバンと捨てるのがいいなんて言いますけど、引っ越してから10年以上そのままだから、何が入ってるかわからないじゃない。
ピン子自身、かつてはシャネルなどブランド好きで有名で、本誌でも「ブランドの洋服や靴を買いたいと思う気持ちが私の原動力」と語っていた。
「ブランド物も、総額で億は使ってるけど、これも断捨離の途中。かわいがってる2人の後輩の女優にあげようとしたら、怒られたり。『まだ早いですって言うのね。かと思えば、こないだテレビに出てブランド物の処分を考えてると話したら、直後から局に連絡がバンバン届いたそう。『タダで引き取ります』とか『お金に換えます』って。余計なお世話、自分で換えるわよ(笑)。
だけどね、処分してても、本当に好きな宝石は、ダイヤでもエメラルドでも人にはやりたくないのも本音。真珠のネックレスなら、こう縦にのみ込んで、途中でつっかえて、そのまま死んでもいいやなんて考えちゃう(笑)。
いちばん困るのが、賞。うちの夫もそうなると思うけど、遺された人は賞状などの処分に悩むと思うの。でも、当人以外にはゴミかもしれない。だったら、今のうちに自分の責任でと思って、菊田一夫演劇賞も橋田賞も賞状はすべて捨てました。つくづく思うのは、終活は、迷い迷いですね」
仕事上の人間関係もすでに断ち切りつつあるといい、芸能史に残る長寿シリーズとなった『渡鬼』の出演者たちも例外ではない。
そんななか、3年前に突如巻き起こったのが、このドラマで息子を演じたえなりかずき(37)との共演拒否騒動だ。
「あれも、最初は橋田先生が雑誌で語ったことから始まったの。私が私生活まで立ち入って小言を言ったって? 私には、かずきでも誰でも、収録後に無駄話をしてる時間なんてなかったの。だって、次の橋田先生の長台詞を頭に入れるので、それどころじゃない。そもそもかずきとは、ここ何年も会ってないんだから。
以前は役柄同様、子供のように思った時期もあったけど、今は向こうも、いい大人。だから、その考えることに、私からどうこう言うつもりはないし、悪口を言われても私は気にしません。
みんな驚くけど、かずきだけでなく『渡鬼』の役者仲間の電話番号もほとんど知らない。数少ない親交のあった野村昭子さん(享年95)も7月に亡くなったしね。30年も一緒にラーメン作るシーンを撮ってきて、もういいわよ。そもそも、仕事場には友達を作りに行ってるんじゃないってことよ」
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