【芸能】「タモリ倶楽部」はついに40年…なぜタモリの番組はどれも長続きするのか
デイリー新潮
タモリ
1982年10月にテレビ朝日の深夜番組「タモリ倶楽部」が始まってから、40年が過ぎた。同じ月に始まり、やはりタモリ(77)がメインだったフジテレビ「笑っていいとも!」も32年続いた。「ミュージックステーション」(テレ朝)のMCに就いてからは35年、「ブラタモリ」(NHK)は開始から14年が過ぎた。なぜ、タモリの番組は長寿化するのか?
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タモリには欲が一切ない
「タモリさんと付き合った人なら誰でも同じことを言うでしょうが、彼には欲というものが一切ない。お金についてだけでなく、仕事面もそう。任された仕事はきっちりやってくれるものの、自分を売り込むようなことは決してしない」
そう語っていたのは「タモリ倶楽部」の生みの親でテレビ朝日の元取締役制作局長である故・皇達也氏だ。
「タモリ倶楽部」もタモリ側の働きかけで生まれたわけではない。タモリにとってテレ朝での初レギュラー番組「夕刊タモリ! こちらデス」が同局の強い要請で1981年に始まったものの、編成上の都合で、たった1年間で終わってしまったことが理由だった。
「申し訳ないと思い、タモリさんに『代わりの番組をつくるまで、しばらく深夜で遊んでいてくれないか』と頼みました。それが『タモリ倶楽部』でした」(皇達也氏)
当時はバブル前夜で世間は活気に溢れていた。バラエティ番組も「欽ドン! 良い子悪い子普通の子」(フジ)のような底抜けに明るいものが人気を博していた。だが、「タモリ倶楽部」はタモリのキャラクターと同じく、思いっきり力が抜けており、異色の番組だった。
ほかの番組が必死になってトレンドを追い掛ける中、「廃盤アワー」「懐シネマ」の各コーナーは忘れられた名盤や名画にスポットライトを当てた。マニアしか知らないような作品を紹介した。
1992年に始まり、現在も放送されている「空耳アワー」のコーナーもやっぱり脱力感に満ちていた。洋楽であるものの、日本語のように聞こえる歌詞の一部(空耳)を視聴者から募った。
その中の一部をタモリとイラストレイターの安斎肇氏(68)が紹介するのだが、良い投稿があると2人もキャッキャッと喜んだ。まるで洋楽好きの中高生。ほかのバラエティと違い、爆笑を誘うことはないものの、クセになる面白さがあり、大勢のファンを獲得する。
その後も「相撲」や「鉄道」などほかのバラエティが取り上げそうにない題材をコーナー化した。みんなタモリが好きなモノ。皇氏の言葉通り「タモリ倶楽部」はタモリが遊ぶ番組になった。これなら長く続く。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e20a643b7e0d8448b6885887216d67fc8de4928f