【芸能】三浦透子、デビュー20年の歩み。順調なキャリアスタートは「コンプレックスでもあった」たどり着いた充実のいま
『ドライブ・マイ・カー』(21)で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞し、NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」「エルピス—希望、あるいは災い—」といった2022年に話題をさらっているドラマに出演を果たすなど、いまもっとも目の離せない俳優の一人となった三浦透子。映画『そばかす』(公開中)では、人に恋愛感情を抱くことがない主人公に命を吹き込んでいる。
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2002年に「なっちゃん」のCMに出演し、今年で芸能界デビュー20周年を迎えた彼女だが、大きな仕事で順調にキャリアをスタートさせたことは「コンプレックスでもあった」と告白。自問自答しながら歩んできたという三浦が、充実のいまに至る道のりを語った。
■「共演者の方やスタッフさんと長い時間を過ごせたことが、演じるうえで力になりました」
男性が苦手なわけでもなく、女性が好きなわけでもなく、他人を性的な対象としてみることができないまま生きてきた、30歳の蘇畑佳純(三浦)を主人公とした本作。勝手にお見合いをセッティングする母、妊娠中の妹、元AV女優の同級生、ゲイだと告白する同僚など、なにかと恋愛や結婚の話題が飛び交う環境に囲まれながら、佳純が自分の性や心と向き合い、前に進んでいく姿を描く。
三浦にとって本作は、初の単独主演映画。「取材などでそう言っていただくと『ああ、そうか!』という気持ちになるくらいで、そういった種類のプレッシャーはあまり感じていなかったと思います」と笑顔で切りだした三浦は、「主演となると、現場で過ごす時間も長くなる。共演者の方々やスタッフさんとコミュニケーションを取る時間をたくさん作れたことは、演じるうえでの力になりました。それはやはり、主演として関われたからこそいただけた時間。緊張せずに、楽な気持ちで現場にいられたことが、とてもよかったなと思っています」と柔らかく微笑む。
一般的に、他者に恋愛感情を抱かない人は“アロマンティック”、他者に性的感情を抱かない人のことは“アセクシュアル”という言葉で表現されるが、劇中で佳純のセクシュアリティが明言されることはない。他者とのズレや違和感を覚えながら生きる、一人の人間として描きだされている。一体どのように、佳純というキャラクターに向き合ったのだろうか。
三浦は「アセクシュアルやアロマンティックであるということが、佳純のアイデンティティのすべてではない。カテゴライズすることは、本作の伝えたいメッセージに反するだろうと思いました」と想いを巡らせつつ、「とはいえ、やはりまだ認知が広がっていないセクシュアリティでもあります。この映画を通して初めて触れる方もいらっしゃると思うので、誠実に向き合いたいと思っていました」とまっすぐに語る。
そのうえでは当事者とやり取りを重ねることを大切にしたそうで、「当事者の方が違和感や不安を抱くことがないか聞かせていただくために、玉田(真也)監督や脚本のアサダ(アツシ)さん含め、私も脚本のディスカッション段階から参加させていただきました」と振り返る。「自分のセクシュアリティの悩みとして大きいのは、『信じてもらえないことだ』を挙げられていたのが印象的でした。恋愛感情や性的感情が“ない”ということを証明するのは、とても難しいことだとお話しされていました。『まだ好きになれる人に出会えていないだけだよ』『いずれ出会えるよ』と言われることも多いようです。その感情のことをわからなくてもいいし、理解しなければいけないものでもないけれど、自分の存在を否定しないでほしいとおっしゃっていたのが、とても心に響きました」と話すように、ディスカッションを経て生まれたキャラクターである佳純も同じモヤモヤを抱いている。
三浦は「まずは知ることが大切だと感じました。『アセクシュアルやアロマンティックについての認知が広がれば、自分の生活がもう少し楽になるのかもしれない』と思っている方もいらっしゃるはず。この映画が認知の広がるきっかけになれたとしたら、すごく意味のあることだなと思いました」と責任感と映画の力を胸に、撮影に臨んだ。
■「“当たり前”に対して、違和感を覚えて生きてきた」
人間には恋愛感情があるのが当たり前、お年頃になったら結婚を考えるのが当たり前…など、佳純の周囲ではあらゆる“当たり前”がささやかれ、観客にとっても「当たり前ってなんだろう。普通ってなんだろう」と考えるきっかけをくれる映画でもある。脚本を読んだ段階で、三浦は「自分が漠然と考えていたことを拾い上げてくれている作品だ」と感じたそう。
「私自身、みんなが共有できる“当たり前”が理解できなかったり、“当たり前”に対して違和感を覚えて生きてきたような気がする」と打ち明け、「役者という、表現をするお仕事をしていると『恋愛をするといろいろな感情を学べる』と言われることもありますし、一般的には『恋愛をするときれいになる』という話もあったり。男女が並んでいるだけで『恋人なの?友達なの?』と決めつけようとしたり、些細なことで言えば『この血液型にはこういう人が多い』とカテゴライズすることもありますよね。私は、そういう話になるたびに『どうなんだろう?』と漠然と思っていたところがあって」と吐露。「本作は、『普通は一つではない』ということにじっくりと向き合えた作品になりました」としみじみと語る。
普通は一つではないからこそ、「家族や友達など自分にとって近しい人でも、そのすべてを理解できるわけではない。『理解しなきゃ』と思うことが、いびつな関係性を生んでしまう場合もある」とも。
「決してネガティブな諦めではなくて、私たちはそれぞれ違うかもしれないけれど『わかり合えない部分がある』ということを受け入れたら、みんな楽になれるし、思いやりのあるコミュニケーションが取れるんじゃないかと思うんです。大事なのは、自分とは異なる価値観を持つ人に対して、決してその存在を否定しないこと。それは私自身、今後も忘れないで生きていきたいです」と語り、悩みながらも一歩踏みだしていく佳純を清々しさと共に演じきり、「『ありのままのあなた、偽りのないあなたのままで、ちゃんと受け入れてくれる世界が絶対にあります』と、伝えられる映画になったのではないかと感じています」と胸を張る。
■「『ドライブ・マイ・カー』で私という存在を知っていただけたことは、とてもうれしいこと」
本作に注いだ情熱に触れても、三浦が思考を深めながら、真摯に俳優業に取り組んでいることが伝わってくるが、今年の出演ドラマでも視聴者に鮮烈な印象を残している。2002年にCM出演で芸能界デビューし、まさにいま充実の時を迎えている彼女。これまでの軌跡を振り返ると「20年か…長い!」と笑いながら、「ずっと『いつ辞めてもいいんだ』と思いながら、ここまで進んできました」と胸の内を明かす。
「この世界に入ったきっかけとなったのが、なかなか大きな仕事で。そこから順調にキャリアがスタートして、目の前に仕事があるという恵まれた状況。でも自分自身としては、そういったスタートがコンプレックスでもありました。『映画やドラマに関わる仕事がしたい』という強い憧れを持って、この世界に入ってきている方に出会ったりすると、自分には果たしてそういう気持ちがあるのだろうか…と考えることもあって。だからこそこの仕事とは違う世界に触れてみようと、たくさんアルバイトもしましたし、大学にも通いました。『この仕事は自分で選んだものなんだ』と自覚するために、『この仕事はいつ辞めてもいいんだ。辞めるハードルは決して高くない。でもあなたの意志で、この仕事が楽しいから続けているんですよね?』とずっと自分に問い続けてきたようなところがあります」。
自問自答するなかでは、たくさんのすばらしい出会いもあった。本作に友情出演している北村匠海とは、2012年に映画化も実現した学園ドラマ「鈴木先生」で共演を果たしている。三浦は「一番いろいろなことに悩んだり考えたりする思春期の時期に、『鈴木先生』に出演させていただいて。『鈴木先生』は映画化もされて、関わっているスタッフさんも映画の世界でお仕事をされてきた方が多かったんです。そういった方々とのお仕事は充実したものがあって、『映画のお仕事がしたい』という気持ちが湧きあがりました」と回顧。
第94回アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した『ドライブ・マイ・カー』への出演も、宝物のような経験になったという。「『ドライブ・マイ・カー』で私という存在をたくさんの方に知っていただけたことは、とてもうれしいこと。私にオファーをしてくれる方のほとんどは、『ドライブ・マイ・カー』を観たという方が多いと思うんです。私が演じたみさきという役は、私自身が大事にしたいと感じていることが反映されているような、『こうありたい』と思える理想の女性でした。そういった役を通して、『あなたにオファーしたい』と言っていただける仕事だとしたら、自分から遠いと感じるような役でもチャレンジできるかなという気がしています」と、自分の背中を押してくれるような存在になっていると話す。
「私が魅力的だなと思う役者さんって、どんな役を演じていても、その人自身やその人の哲学がにじみでるような人。私も、そういった役者になりたいなと思っています」と明かした三浦。今日に至るまでは、どのような歩みが必要だったのだろうか。「私はできないことが多いので…。ものすごく不器用だし、嘘とかも苦手だし」と照れ笑いを浮かべながら、「シンプルなんですが、私にできることを丁寧に一つずつ積み重ねてきました。特別なことはしていなくて、本当にそれだけなんです。するとそんな私でも『呼んでみたい』『それがあなたの個性だ』と声をかけてくださる方がいて、それが次へとつながっていった。いま、どんどんありのままの自分でいやすくなっているので、私はとても恵まれているなと思っています」と感謝をあふれさせる。嘘のない俳優だからこそ、三浦透子は人々の心をつかんで離さないのだと実感した。
取材・文/成田おり枝
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