【テレビ】平野紫耀 20歳でデビュー諦めかけた過去も…背中を押した楽曲「とにかくがむしゃらに進むんだって」
[ 2022年10月21日 21:58 ] スポニチ
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「King&Prince」の平野紫耀(25)が、21日放送のTBS系「この歌詞が刺さった!グッとフレーズ3時間SP」(後7・00)にVTR出演し、自身の心に深く刻まれている名曲について語った。
心に刺さる名曲の歌詞を紹介する特番。 平野はヒップホップ歌手MASHが09年にリリースした「僕がいた」を挙げた。夢を追いかけひたすらに走ってきたが、実は何もかもが家族の支えがあってのことだったことに、大人になって気づかされるという歌詞。家族の大事さと、夢を追いかけることの尊さを歌っている。
平野がこの曲を聴いたのは、キンプリの結成前。この曲が心に響いたのには、平野の複雑な家庭環境もあったという。「小学校4年の時に両親が離婚して、4人兄弟だったんですけど…。あ、違うや。2人だ」。天然ボケも挟みながらも、「お母さんの方に引き取られて、僕と弟は。5、6年前まで3人暮らし。身近にいた親ですらも、世間と戦ってきた」と振り返った。
夢を追ってジャニーズ事務所に入った平野。しかし、20歳を超えてもデビューの声はかからず、「20歳でジャニーズJr.だったので、辞めようと思っていたんですよ」と頭をよぎったという。そんな葛藤の日々に聴いていたのが、この曲だった。
平野は迷いながらも、「夢があるなら」と、自己暗示をかけるように前へ進もうとする歌詞をピックアップ。「このパートを聴いて、“行けるか?いや、まあ、行けるよな!”って、ある意味安心させてくれるフレーズで、とにかくがむしゃらに進むんだって」と語った。
決意して向かった先は、当時社長のジャニー喜多川さん。デビューを直訴するためだった。「僕もその時、一か八かの直談判で、言いに行って、“ユーたち、デビューできないよ。無理だよ。年も年だから”って言われたら、辞めようと思っていたんで」と、当時の覚悟を明かした。
ジャニーさんはあまり乗り気ではなかったという。「“ずっと数字に追われる人生になるよ?”ということを教えてもらって」。その場ではOKをもらえなかったものの、「明日、会見やるから来てね」と連絡があり、現場へ行ってみるとデビュー会見だったという。18年1月にデビュー。「うれしさよりも、僕は覚悟とかの方がでかかった」と、当時の心境を思い出していた。
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